東京高等裁判所 昭和32年(う)1873号 判決
被告人 金尚史
〔抄 録〕
所論の要点は、被告人は公務員が正当に作成交付した有効な医師免許証を有し医師たる資格のあるものと信じて、医業を行つたものであるのに、原判決が、被告人の有していた免許証は無資格者に対し交付されたもので、日本国内においては開業の効力のないものである旨認めて、被告人に対し無免許医業を行つたものと認めたのは事実誤認である旨主張するものである。
よつて、本件記録中原判決引用の関係証拠を綜合検討すれば、被告人が原判示第一の如く無免許で医業を行つたものである事実を優に認めることができるのである。
そこで先づ被告人の所持していた免許証が所論の如く我国公務員が正当に作成交付したものであるか否かにつき按ずるに、前記証拠によれば、被告人が本件医師免許証なる証書を入手した経緯は原判決摘示のとおりであつて、この種医師免許証は当初昭和二三年二月頃厚生大臣一松定吉によつて、元来興亜医学館、東洋医学院の卒業生に対しては我国内においては医師として開業する資格の認められていなかつたものであつたが、終戦後の特殊事情によつて、中華民国、韓国等に帰国する者が帰国後必要とするとの理由によつて、日本国内においては開業の効力を有せず、開業し得ないことの条件を附し、この条件を被交付者において承諾した上、証書の登録番号も当時日本国内において有効に開業し得た免許証の登録番号に比較すれば殊更所謂若い番号を附して昭和二二年六月一二日附で特別に一括交付されたのであつたが、被告人はこの一括交付の際には漏れたので、その後昭和二五年一〇月中右同趣旨の免許証下付願を当時の厚生大臣黒川武雄宛に提出したところ、同省医務課長補佐厚生事務官谷川直臣は、当時右一松定吉は昭和二三年三月限り厚生大臣を辞任していたにも拘らず、同人が大臣在任中一括決済した前例と同じであるならば、被告人に対しても交付せざるを得ないものとして、上司にはかることなく独断で、昭和二二年六月一二日附厚生大臣一松定吉の記名押印のある被告人に対する本件医師免許証を作成し、前同様我国内においては医師として開業する資格の認められないものであつたが、帰国後必要とするとの理由で、この免許証によつては日本国内においては医師として開業し得ないことの条件を承諾させた上交付されたものであることが明白に認められるのであるから、先に厚生大臣一松定吉によつて一括交付されたものとは異り、被告人に交付されたものは、右谷川直臣において仮令正当に作成しうるものと信じていたものとしても、当時已に一松定吉は厚生大臣ではなく、客観的には作成権限のない谷川直臣が擅に作成した公文書と云うべく、我国公務員が権限に基づいて適法に作成した有効な公文書とは認められないのである。
次に本件免許証自体に日本国内において開業し得ない旨の附款も条件も記載されていないことは所論のとおりであるが、本件免許証が被告人に交付された事情は前説示のとおりであつて、右我国内において開業し得ない旨の条件を承諾した上被告人に交付されたものであるから、被告人が本件証書は我国公務員が有効に作成したものと信じていたとしてもまた右条件が証書上に明記されていなくても、被告人がこの免許証によつて我国内において開業医として医業に従事し得ないことは謂う迄もないところである。なお、所論は右のような条件を附することは違法であつて、条件自体無効である旨主張するけれども、右のような条件は格別公序良俗に反するものとは認められず、被交付者においてこの条件を承諾した上交付されたものであるから、これをもつて違法とは認められない。従つて条件自体無効とは勿論認めることはできない。
更に所論は日本国内においては開業させず、帰国を条件としてのみこの免許証を交付したものとすれば、それは日本国内においては医師として不適任であるのに、台湾、朝鮮においては適任である旨認めたもので、それは台湾、朝鮮を劣等視した国際正義に反する不法行為である旨主張するが、当時台湾における該政府の要望もあつて被交付者の利益の為に右免許証が交付されたものであることは原審取調の証拠によつても窺い知りうるところであるから、これをもつて国際正義に反する行為とは謂い得ないのである。仮に国際正義に反するものとしても、右条件は日本国内における行政上の問題であつて、日本国内に関する限りは有効のものと謂うべく、これあるが故に右免許証によつて日本国内において医師を開業し得るものとは為し得ないのである。
而して、原判決が証拠に引用する被告人の検察官に対する昭和三〇年七月六日附供述調書によれば、被告人は本件免許証によつては日本国内において医師として開業できないものであることを十分認識していながら、即ち免許のないことを知り乍ら本件医業を為したものであることを明瞭に認めうるのである。
被告人の原審並びに当審公判廷における自分は自己の有する免許証によつて医師として開業し得るものと信じていたものである旨の供述は、右証拠及びその他原判決引用の証拠に照せば、もとより信用するに足らず、その他本件記録によつては所論事実を認めて、原審認定を覆すには足らず、原判決には所論の如き事実誤認は存しない。論旨は理由がない。
(山本謹 渡辺好 石井)
註 本件は量刑不当で破棄